第22回 中・九州大会

                           (抜粋)


昭和58年10月18日(火曜日)

(前夜祭) ◇別府温泉上田の湯「ホテル白雪」に集合◇6時より懇親会開催

10月19日(水曜日)

     ◎大分市臼杵見学(臼杵石仏・「菊屋」製菓工場・レストラン「シャンテドール」)
                 ・大分商店街等見学
4時   「開会式」 ホテル11階大広間にて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 司会・木村政雄
6時   「再会を喜ぶ夕べ」 宴会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 司会・岩淵開彦
              第1部 「ペリカン旅情」発表会 ・・・・・・・・ 郷まさる 
              第2部 郷土民芸 「餅つき踊り」他 

10月20日(木曜日)

9時   「観光」 ◇別府→国東(クニサキ)六郷→真木大堂→富貴寺→宇佐神宮(応神天皇
         ・神功皇后を祭神とする全国八幡宮の総本社、和気清麿勅願)
          →中津市(福沢諭吉記念館)→耶馬渓クラブ『昼食』 →青の洞門
          →日田(市内商店街見学) 名物・蕎麦饅頭(大黒屋菓子舗見学)
          →日田天領駄(佐藤製作工場見学)下駄の出来るまで・・・・・・・。
5時   ◇日田・グランドホテル山陽館(宿泊)
7時   ◇「秋の中九州を偲ぶ夕べ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 司会・中沢 徹
          第1部 「日田・祇園囃子」
          第2部 「のど自慢大会」エレクトーン伴奏

10月21日(金曜日)

9時   「観光」 ◇日田→柳川へ ◎「殿様お屋敷・お花」見学
        ◎名物「川下り」を楽しむ、舟中で若松屋「鰻せいろ蒸し」で
        『昼食』を取り下船◇「白秋詩碑」柳川開拓の「六騎の碑」
        等を見学◇「大橋竹工民芸店」見学ショッピング→佐賀へ
3時   ◇佐賀「リンガーハット本社工場」見学→博多へ
  ◇博多「ニューオータニ」(宿泊)
6時   ◇「夜の博多見学会」 (味と接客の臨店勉強会)
    ◎ 「天神地下商店街」見学◇「サン・ウミノ」
    ◎ 「江戸沢」中州の活魚料理(松岡さんの次男可沖君の店)
    ◎ 鳥料理 「新三浦」 活魚料理 「智加栄」等見学

10月22日(土曜日)

9時   「観光」 ◇ 「大宰府天満宮」 (菅原道真・学問の神様を祭る)→参道商店
         見学「梅ケ枝餅」の店見学→博多へ
11時半   ◇ 「リンガーハット浜勝本社」 『体験発表』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 社長・米浜和英
1時   ◇ 「開会式」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (司会)  木村政雄
2時   再びニューオータニへ
  ◇ 「打ち上げ式」14階ブルースカイラウンジ ・・・・・・・・・・・・・ (司会) 河合正吉
    ◎ 「ペリカン旅情」
    ◎ 「さらばペリカン」 新作発表会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  郷 まさる




昭・58 別府・日田・柳川・博多 

22回 中・九州大会

    海の青さよ
湯の町、別府
国東(くにさき)、御仏(みほとけ)
宇佐の宮
    心は、美(うる)はし
日田の宿
    白秋ゆかりの
柳川、下り
    あゝ
宵の中洲(なかす)は
    恋灯(あか)り




「ようこそ九州へ」
第22回 中・九州大会

          大会委員長 米浜 和英

    「和英さん、来年のペリカン大会を頼むよ」と言われたのは、ホテルオークラでの岩城家
  のお祝いの帰りに渋谷の「かにや」で何人かの同友との二次会のときであった。そのとき
  は冗談と思い気にしないまゝで、二月の箱根ゼミで改めて「秋の大会」をお願い、と念を押
  されて「あの話は本当でしたか」とびっくり致しました。しかも、海野大先輩もおられるのに、
  私に大会委員長をとのお言いつけで、「やる事はやりますげれど、大会委員長は是非、海
  野さんへ」と再三にわたりお断りを致しましたが「いつまでも先輩にばかり責任を持たせて
  居ては申し訳ないから」との仰せと、又・何でも過去に長老の三尾さんと日下さんが、大会
  名誉委員長をやられたそうですが、海野さんは現役のバリバリなので年寄り扱いにしては、
  却って失礼になるとの説明に負けて、止むなくお受けした次第です。
    以上の様な訳で懸命に皆様のご期待に副うべく頑張ります。海野さん始め皆さんが良く
  協力して下さり大変心強く思っています。
    幸いお陰様でリンガーハットの本社、佐賀工場とも施工致しましたので皆様にご披露申
  し上げ、ご意見を受けたく存じて居ります。

 ペリカン第12回大会をお世話申し上げました
 今は無き先代社長の様には行き届き兼ねま
 すが、海野さんのご教示を仰ぎ、且つ皆さん
 で力を併せて無事大任を果たしたいと思って
 居ります。運営上の至らぬ所はご寛容下さい
 ます様に。
   天候に恵まれて大会がよき思い出と成り
 ます事を念じつゝお招きの言葉と致します。

              (昭和58年10月19日)
海野・米浜・中沢・斉藤
クラブより、リンガーハットに記念時計贈呈


    柳川の川下り


小田夫人・小田・竹村・河合・坂井・斉藤・海野 小田・坂井・河合



       (昭和58年10月19日)

『中九州大会によせて』
岩城 二郎

   政府は景気底離れを宣言し、事実企業によってはかなり好転しつゝある。
   しかし流通業界は相変らず景気は悪い、良くなる要素は皆無とい言ってよい。
   パイの大きさは限られている。店は無制限に増え続ける。分け前は減っても
  増えることはない。
   あれ程、強大を誇ったダイエーの大幅減益や、関西の名門と言われる大丸の
  赤字決算は不況が如何に深刻であるかを物語っている。
   今こそ、しっかり足元を見つめて内容の充実に専念すべきである。

                   <月日の経つのは早い>
                     ペリカンクラブが誕生してから既に21年此の長い歳月、
  人間の生活には何の関わりもなく、時は無情に流れ去り、
  倉本主幹、日下会長を初め多くの仲間が亡くなられて
  いったしかし、ペリカンは次々と新しい仲間を迎え入れて
  いよいよ盛んである。
   どうか是からも友情を大切に、皆さんで力を合わせ、
  此れの伝統を守り育てゝ戴きたい。

 『良い友達は、何物にもまさる財産である』
   さて、ペリカン創立時60才だった私も、ペリカンと共に
  歳を重ねて今年81才となった。毎日元気に会社へ出勤
  しているけれども、この高齢では、皆さんのスケジュール
  に併せて、一緒に行動する事は無理である。
  今度の大会に参加出来ない事をお許し頂きたい。
  それでは皆さん楽しい旅をお続け下さい。