第24回 若狭路大会

琵琶湖ホテルにて

琵琶湖ホテルにて

昭和60年11月5日(火曜日)

4時半

『開会式』◇於、大津・琵琶湖ホテル・桃山の間

◎西野大会運営委員長のご挨拶

◎久保大会委員長の開幕宣言

『記念パーティー・ミシガンナイト』

◇乾杯 ◇大会記念の歌 「ペリカン旅情」 発表・郷まさる

琵琶湖の(ミシガン丸)◇ミシシッピー河の、ショーボートを再現したもので、素晴らしい設備と、美しい金髪の日本留学生の優しいサービスとスマイルの接客態度に感服します。

11月6日(水曜日)

9時 「観光」

◇会津→上中→レインボーライン→名勝・三方五湖(ミカタゴゴ)→小浜(明通寺) →ドライブイン「松風」『昼食』

◇「国分寺」 「薬師如来座象」 →「神宮寺」→「羽賀寺」→小浜

サンホテル「やまね」

6時 「夕食宴会」

◇「若狭路の秋に友と語る夕べ」

◎「雲浜獅子舞」(ウンピンシマイ)

◎「蘇洞門太鼓」(ソトモタイコ)

9時 「研修」◇小浜商店街見学(小浜は魚類の豊富な事で日本海でも屈指の若狭湾に面して種々の魚料理は大変参考になる)

(名産・小鯛笹漬・若狭めのう)

11月7日(木曜日)

9時 「観光」◇小浜→高浜→舞鶴 (都屋菓子店舞鶴駅前店・見学)→丹後→「文殊堂」→(遊覧船) 「天の橋立」海から見学→「一の宮」→「傘松公園」 (ケーブルカーで山頂)「股のぞき」→城崎・日和山海岸(マリンパーク・水族館)

6時 「宴会」◇日和山海岸「金波楼」 『かに料理賞味の夕べ』

○漁火をバックに新鮮な蟹を賞味

○平家部落縁の「平家水軍太鼓」

9時 「研修」◇城崎 「味と接客の臨店診断勉強会」

11月8日(金曜日)

8時半 「研修・観光」

◇城崎→豊岡「いなりや・忍者屋敷」クリニック

◇豊岡→「菓祖・中島神社」 参拝→出石(イヅシ)皿蕎麦で昼食「蜃気楼」・歴史を感じさせる古い町並み見学(「沢庵和尚」縁の地 ○白磁で高雅な名窯「出石焼」見学)→福知山→京都嵐山へ

3時 「閉会式」嵐山・渡月橋畔、ドライブイン「良弥」にて「お別れパーティー」

◇終了後  バスにて京都駅と大阪空港へお送り致します。

(元気に再会を約し分かれるも、此れの大会を最後に中郷さんとは再びあえなくなった。)

昭・60  琵琶湖・小浜・橋立・城崎

第24回  若狭路大会

雁啼く 琵琶湖の

ミシガン航路(ナイト)

金髪(ブロンド) 碧(あお)い眼

夢、乗せて

めぐる小浜(おはま)の

ぬ佛あわれ

想いひとすじ

橋立、渡る

あゝ

夜風、城崎(きのさき)

身に沁みる

「ようこそ不便な若狭路へ」

第24回大会 運営委員長 西野 正

地図で見れば京都から直ぐ近くの一寸だけ横に入った所ですが、なかなかいらっしゃれ無いのが「若狭路」です。

今日は、北は北海道から南は九州迄、遙々と遠く不便な日本の裏街道までご足労をお懸けして真にご苦労様でした。

さて、本大会は地理的に滋賀・福井・京都・兵庫と一府三件に渡る複雑な足どりとなります。先ず琵琶湖・外輪船ミシガン丸の ナイトツアーに始まり、次いで風向明媚な「三方五湖」京都・奈良を偲ばせる「小浜」の仏像巡りと趣の変わった味わい深い旅が、思い出となって残る事でしょう!

私共の舞鶴では、街の中の道路事情の都合で、駅前店だけ寄らせて頂きたく何卒ご了承下さいませ。

日本三景の一つに「天の橋立」は歩いて渡ると疲れますので、遊覧船を特にチャーターして船の上から見学して戴きながら、向こう岸へ皆様をお送り致します。

昨年、信州で委員長をお引受けしたものゝ果たして皆様のお気に召す様な事ができますやら、心配で心配で家内と話し合いながら大丈夫かなと一年経って仕舞いました。幸いにも久保副委員長が良く気の付く方なので「あれはこう」「これはこうしたら」と、素晴らしいアイデアを頂き、そして四月に本部・中郷理事長ご夫婦に現地をご一緒に廻って戴いたら「あれも、是も」とお見せしたいと言う気持ちは良く判りますが、時間とスケジュールの関係で多少割愛しないと、と申されましたので、時間的距離離的問題等を勘案して、大体のプログラムを作成致しました。尚、久保さんの発足で「出石そば」菓祖・中島神社等を入れました。共に「味のゼミナール」ご参考になれば誠に幸いです。ともかく昼の委員町は西野、夜の実行委員長は久保氏、それぞれ相務めますれば、何卒宜しくお願い申し上げます。

「秋の日は、釣瓶落とし」と申します。未だ日の落ちない中に宿に入りたいもので、途中のバス出発時間にはよろしくご協力の程お願い申し上げます。そして皆様のご精進に依り好天に恵まれます様お祈り致して居ります。

「有り難うございました」

(昭和60年1月5日)

「若狭路大会によせて」

中郷 景樹

人生とは

宿命のストーリーで

リハーサルなしに

演じなくてはならぬ

唯、一度だけの

ドラマである。

人生の行く先は全く誰にも判らぬ。宿命と言う台本をこの世に生を受けた時に神様から与えられ、「お前の進む道はこうだ。仕事はこれだけやれ、そしてお前の進む道はこうだ。仕事はこれだけやれ、そしてお前の現世での滞在期間は何年何月何日迄だ、等々の運命として示されているのではないかと思われて仕方がない気が致します。

近くは入江侍従長の例で、9月26日のテレビの記者会見で「五十年間お尽くししましたので一つの区切りとして・・・・」と、お元気な顔で語って居られたのに、三日後の29日、突然急逝のニュースにはびっくりしました。人性とは先の判らぬものとつくづく感じて居ります。

大垣の寿し幸さんから「父が亡くなりました」の悲しいお報せ。一生を寿司職人として経営は全て奥様に任せて、ひたすら脇目も振らず寿司調理に打ち込んだ立派なひとでした。昭和46年の第十回大会での、素晴らしいお料理のおもてなしは今でも忘れる事が出来ません。

大垣の悲しみが薄らぐ間も無く、札幌の小佐川さんからの「主人がなくなりました」との悲報に接して、やはり駄目でしたか、あれ程に奥様はじめ家中の手厚い看護を受けておられたのに・・・・、」と小佐川さんの心の中を思うと、お慰めの言葉もありませんでした。身は、札幌はもちろん全道一の名門料亭の御曹司として生まれながら、家業は若妻にまかせきりで、ご自分は専ら歯科医として医師会長等で尽くされた方、お互いに仕事が違うので語り合いの場が、もしかしたらすくなかったのではと私なからに想像して、奥様の寂しさが身にしみて参ります。

過ぎし真夏の夕方、玉置さんからの電話、

「中郷さんですか」

「はい、そうです」

「実は家内が亡くなりました」

「えっ!どうして、本当ですか?」

と、愕然として信じられず聞き返した。

「家内が今、急に死にました。私も死に目にあえませんでした」

沈痛な声に全く何と答えたらよいの、私は声も出ませんでした。私の運転する事でついこの間送り迎えしたばかりの元気なお姿を思い出しながら、涙が溢れて仕方ありませんでした。半信半疑で店に電話する。

「まま、玉置さんの奥さんが亡くなられたそうだ」

一瞬声をつまらせた家内は、

「うそ!馬鹿な、あんなに元気だったのに、あなた何か聞き違いではないの・・・」と、いつもの余り

信用して無いような調子で

「どうして?原因は?」と矢継ぎ早の質問

「とにかく、ご主人も死に目に会えなかったそうだ!」

泪が頬を伝わり受話器をも持つ手が震え、その手にも泪がこぼれ流れました。

神仏よりの突然のお召し、あゝこれが宿命といいうものか、と余りにも厳しい現実の姿に慄然とした事でした。

葬儀の日、松山は猛暑でした。告別のご霊前に一句の弔辞を捧げご冥福をお祈りする。

「急ぎ逝く、君を慕いて、蝉しぐれ」 景樹

お亡くなりになられた三名の方々は普段、あまり自分の仕事や生活時間帯の相違で夫婦間の対話が充分だったのか、と気に掛かって居りました。夫婦とは丁度空気中の酸素の様なもので、普段は何も有り難くも無く、ものすごく当たり前のものですが、いざ、何かの故障、事故で酸欠になったら是は大変な事になるでしょう。なくなってから初めて知る、その配偶者の有り難さ、大切さは何事にも変えがたいものではないでしょうか。

我々菓子飲食等の業者は、50%いや、店に依っては、80%以上の割合で、奥様に経営を依存していると思われます。男は何だかんだで外に出る機会が多いのですが、留守の間、奥様のせめてもの慰労と、悩みが有ればほかのお店・お家ではどうして解決して居るのか等々、女は女同志のよき話合いの場として、ペリカン大会は明日の糧とする絶好のチャンスなのです。一年に一回の三泊四日の逢瀬を大切に楽しくお過ごし下さいますように。

(昭和60年11月5日)

「あとがき」

こんなコメントを書かれた中郷理事長、一年も経ずして自分が逝かれるとは神ならぬ身の知る由もなし・・・・・・。


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