第23回 信濃路大会

信濃路大会

信濃路大会

昭和59年9月30日(日曜日)

(前夜祭)

◇信州・浅間温泉*本棟造り 「菊の湯」 に集合 ◇夕食会

◇「テーマ別研修講座」

①二世育成の問題点について。

②新製品の開発問題について。

③求人、広告、売上促進策について。

10月1日(月曜日)

8時半「観光」

◇穂高・大天山葵園見学(日本一の規模を誇る山葵畑

◇「碌山美術館」 見学(彫刻家)

◇「開智学校」

◇「松本城」(からす城)

『昼食』

◇フランス料理「鯛万」(松本市)

5時 「開会式」

◇松本第2東急イン3階(宿泊)

「再会を喜ぶ夕べ」郷土料理の店「しづか」

◎「信濃路旅情」 発表 郷まさる

「臨店診断」松本商店街

10月2日(火曜日)

9時 「観光」◇三才山トンネル→丸山町→塩田→前山寺(名物クルミおはぎ)

『昼食』◇小緒「懐古園」(小諸なる古城の畔雲白く・・・・  )藤村

4時 ◇「川中島古戦場」(鞭声粛々夜河を渡る・・・・・  )謙信/信玄

○長野ワシントンホテル(宿泊)

7時 ○夕食会◇信州林檎で育てた特別肥育の牛肉試食会「すき亭」

9時 「研修」◇長野商店街見学

①和洋菓子 ②喫茶レストラン ③割烹居酒屋 ④食堂パブ

10月3日(水曜日)

9時 ◎善光寺参詣(本堂下のお戒壇巡りで幸せの鍵をどうぞ)

11時 『昼食』小布施・竹風堂名物「栗おこわ」

◎竹風堂◇庭内の土蔵造り「郷土人形館」と「日本の灯かり博物館」は「北斉館」と共に小布施の名称です。栗仕込み工場は栗の収穫期にあわせて、僅か50日しか稼動のしない工場で、良い商品を造ろうとしている竹村社長の情熱が伝わる、素晴らしい工場です。此れの工場見学だけでも、今回の信濃路大会の意義が大きいと思います。

1時「体験発表」◇『来た道・行く道』  社長 竹村猛志氏

2時「閉会式」於・竹風堂・松川工場会議室

3時「打ち上げお別れパーティー」(運営委員の皆様に感謝の乾杯!)

◎お疲れ様でした。

又、来年もお揃いでお元気なお顔をお待ち申し上げます。

ではご機嫌よう! さようなら!

(追記)大会協力・重野栄作氏

◇同友、重野氏には長らくの心臓病の為に大会運営行事の全参加をご遠慮して戴き地元の安曇野方面のみ、ご協力戴きます。どうぞお大事に・・(中郷)

昭・59 松本・小緒・長野・小布施

第23回 信濃路大会

霧の安曇野(あずみの)

山葵(わさび)がそよぐ

小諸(こもろ) 別所の

愛染かつら

鐘がなるなる

善 光 寺

栗の木 小布施(おぶせ)

点く 「あかり」

あゝ

長野 権藤(ごんどう)は

うす情

「さわやか信州」へようこそ

第23回信濃路大会 大会委員長 竹村 猛志

地理的には日本の中心に有りながら信州は東京へ最も遠い国だそうで、その信州へようこそお出で下さいました

信州では、暑いと言っても旧盆過ぎ迄で、今日この頃はすすきの穂がゆれ、爽涼の秋が忍び寄って来ていま

ペリカンの皆様のお出でをお待ちする我が長野県は、日本列島のほぼ真ん中に位置し古くは信濃の国と呼ばれていました。

(東)に埼玉・群馬(南)に山梨・静岡・愛知(西)に岐阜・富山(北)に新潟と八つの県に接し、本州では岩手・福島次ぐ第三位の大きな県で、『日本の屋根』と呼ばれる通り、日本アルプス・南アルプス等三千メートル前後の山岳に囲繞されています。又、長野県に発する河川のうち、天竜川、木曽川は南に向かって、太平洋にそそぎ、千曲川、犀川は合流して日本一の長河、信濃川となって北に向かい、日本海にそそいでいます。

旅行雑誌社にとって、北海道・京都についで安全パイの御三家と言われている信州には県所が沢山有ります。

実は、この度のプラン作り段階で、中郷理事長とご相談する中で、あれもご案内したい、此処も寄りたいと、欲張って見ましたが限られた日程のことゝてプログラム通りに落ちつきました。

これから後も、機会を見て季節をかえ、方面をかえテーマをしぼって、何度でも訪れて頂きたいと思います

それも必ずしも行楽のシーズンばかりではなく、雪の消え残る北信濃の早春や、梅雨どきの上高地、そして時雨が通り過ぎてゆく木曽路の晩い秋など、しみじみと心に残る旅など如何でしょう。

この度のペリカン大会は、おそらくや信濃路や旅情を満喫して戴けることとは思いますが、何としても良いお天気に恵まれたいものです。

お迎えする側の手不足の点に付いて予めご了承を頂いて、ご友情におすがっりするより致し方有りませんが、何卒宜しくお願い申し上げます。

でが「さわやか信州」の秋を充分にお楽しみ下さいます様に。

(昭和59年9月30日)

『ペリカンの願い』 中郷景樹

昭和三十七年九月十九日・ペリカンクラブ誕生より十九年。創立当時、倉本主幹先生や岩城先生はじめ皆若かった。今はもう一部の方を除いて眼も遠くなり、歯も大分いたんできたこのごろまして身体の中とて例外ではなく、それぞれが大なり小なりエンジンが傷み始めている事と思われます。

比の十九年間に数多くの同友の方々を鬼界に送りました。三尾さんが少し長生きしただけでその他の人々は、勿体ないほどの春秋を残してこの世を去って行きました。

その殆どの人は一寸だけ身体の事に関心を持ち、少しだけ仕事の合間に健康管理に万全を期していたならば、あの人もこの人も未だ元気な姿を見せてくれた事であろうと、残念でなりません。

同友野口さん艷の良い元気な顔、又一頃よりも元気になられた柳井さん、もう少しで昔のように飛びまわれる身体になる事でありましょう。

先日柳井さん激励の為、坂井さんと二夫婦で広島を訪れた折、昭和四十五年代九回中国大会の際にお寄りした広島名物「簪」の天麩羅屋さんに招かれ、十年ぶりで、ご主人木村さんの七十七才とは思われぬ元気な働き振りに感心致しました。このような元気な方でも毎週主治医の元で健康診断を受けながら働いているそうです。帰りに下さったお土産の掛紙に次の七文字がありました。

『健康第一大吉祥』

全ての幸せは、健康の土台の上にのみある事を、決して忘れぬ様心掛けようではありませんか・・・・
(昭和55年9月10日)

「病気のこと」 中郷景樹

皆様に大変ご心配をお掛けし申し訳なく、そして誠に有り難うございました。

病状、その他の事を多くの方々より心配して聞かれますのでお知らせ致します

実に23年振り、盲腸炎で入院以来の事です。案内の病院通いを車で送った日、子供の頃より持病の耳だれを半ば冷やかしのつもりで見て頂いた。

耳のレントゲンを念の為に撮り、点耳薬を買って、二・三日点耳したらい乾いて治った。一週間目に再び病院へ行き、「もう治ってます」といわれるつもりが、「中郷さん、耳だれの培養検査で細菌が出ましたよ」。耳鼻科の院長に呼ばれ、写真説明があり、『中耳炎珠腫』で「もう抗生物質では駄目、手術の要有り」と診断を下されました。

そこで、懇意にしている主治医の院長先生に、自分の予定をのべると「自分の身体と行事の予定と何方が大事か!」と一喝、「病室をすぐ都合つけるから直ちに入院」との指示に従いました。

入院翌日手術、心臓肥大症の為、全身麻酔は駄目、局部麻酔の為注射の痛さ、手術の苦しさに音を上げました。だが、早期発見・早期手当、処置が完璧だったからすこぶる良好です

尚、約一ヶ月秘密入院の筈が漏れて70余名もの方々よりお見舞いを頂戴、ご心配をお掛け致しましたことを深く深くお礼申し上げます。「誠に有り難うございました。」

(昭和58年10月)


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