義捐金を届けて参りました

ペリカンクラブ各位

震災から1か月を過ぎ、ようやく復興の途についたというのに、4月7日そして今日、4月11日、余震と言えないような大きな地震が発生し、再び被災地を苦しめています。早く落ち着いてほしいものです。

前にもご連絡しましたように、4月4日から6日まで、皆様から拠出していただいた貴重な義捐金を17名の方にお届けして参りました。

お届けに際しては、東北ペリカンクラブの方々に大変お世話になりました。
お会いした方々のことなど、報告書をまとめましたので、添付ファイルにてお送りします。

メールアドレスを持っておられない方もいらっしゃいますので、大槻さんに全員あてファックスで送っていただきます。

ありがとうございました。

米濱 鉦二

2011年4月9日

ペリカンクラブ 会長 米濱 鉦二
ペリカンクラブ各位
東北関東大震災義捐金 お届けのご報告

4月4日(月)から4月6日(水)までの三日間、予定通り、東北関東の被災地を回り、被災された会員17名に義捐金をお届けして参りました。

お渡しした方は下記の通りです。
4月4日(月)杉山徹さん、板垣重信さん、木村禮子さん、小松務さん、葛巻治さん、
佐々木幸男さん、
4月5日(火)保志能成さん、佐藤真也さん
4月6日(水)唐橋宏さん、本名幹司さん、古川雅裕さん、小平一夫さん、山口哲司さん阿部充正さん、桑名基勝さん、大槻利夫さん
お届けできなかったのは、釜石の東京ラスクの工場ですが、4月9日麻布十番の本店にお届けしてきました。

●行程を概略ご報告致します。
東京から青森までは空路でしたが、青森から南下して茨城県取手市までは5人の社長さんにリレーで私を運んでいただきました。
4月4日(月)は朝7時35分羽田発、8時55分青森空港着。一面雪景色。杉山さんは下北半島の横浜町から2時間近くかけて雪の中を空港まで迎えに来てくださっていた。杉山さんには空港から弘前の菊富士さん経由、八戸のはっと庵さんに連れて行っていただく。はっと庵の新店でそばをご馳走になり、杉山さんにはお別れ。
八戸からは小松さんご夫妻の車に乗せていただき、岩手県の北上市の南部屋敷さんへ。
そこで、葛巻さんと吉幸堂の佐々木さんにお会いし、宿泊の花巻までご案内いただく。

4月5日(火)は午前7時30分、小松さんと葛巻さんの車2台で花巻を出発、9時50分塩釜の亀喜寿し着、保志さんとそのご家族にお会いし10時半再び小松さんの車で福島に向かう。12時少し前、岩代家敷大王着、お昼にそばをご馳走になり、小松さんとお別れ、佐藤真也さんの車で郡山のアネックスビューホテルへ。

4月6日(水)朝9時に阿部充正さんがホテルに来てくださり、義捐金をお渡しする。
お母さんが地震の折、倒れてきたテレビで腰を痛め、病院にお連れするところとのこと。
10時には本名さん、唐橋さん、古川さん、山口さん、小平さんがホテルのロビーにお集まり下さり、地震の被害状況、現在の心境などをお聞きする。
10時半、本名さんの運転で唐橋さんとホテルを出発、いわき市の桑名さんのお店、マンマ・マリア・イタリアンレストランに向かう。ちょうどお昼に着いたが店の前には多くのお客さんが入店の順番を待っておられる。中はもちろん満席。震災20日後の4月2日に再オープン。お客様はオープンを待ちかねておられたという感じ。土浦から大槻さんが既に来ておられ、一緒にイタリアンのフルコースをいただく。
午後2時過ぎ、大槻さんの運転で土浦に向かう。かね喜着は午後4時過ぎ、明子奥様にごあいさつ、葉子さんの運転で取手駅まで送っていただき、常磐線で上野経由新橋へ。汐留の自宅に着いたのが午後8時半。東北ペリカンのチームワークの良さで、3日間の行程を無事終えることができました。

●被害状況他
報告が長くなりますが、あと、お会いした皆さんのことをご報告致します。
1)弘前の菊富士に着いたとき、板垣さんとキヨ奥様とゆかりさんが寒いのに外で待っていてくださいました。キヨ様は昨年5月大きな交通事故に遭い、骨折して入院されていたところ、わざわざ病院を抜け出して、来てくださっていました。かなり回復され、杖はついておられませんでした。

2)弘前から八戸に行く途中、新幹線七戸駅に寄り、杉山さんの店を拝見しました。改札口を出たすぐの好立地にあり、他に店はないので競合はなし。青森新幹線開通と同時にオープン、売り上げ上々だったのが、この震災で開店休業の状態とのこと。

3)午後1時、八戸のはっと庵新店に到着、おいしいそばをいただきましたが、この店は昨年お邪魔した時はまだ契約が終わっただけで、これから設計するという段階でした。八戸の中心部、ロイネットホテルの一階部分にあり、ちょうどよいサイズのお店で従業員の方も仕事がしやすそうでした。

4)小松さんご夫妻には八戸から北上・花巻まで、花巻から塩釜まで、そして塩釜から福島までと長時間運転していただきましたが、その間、いろいろお話しをお聞きすることができました。特に陸前高田市のご親戚を探しに2度も現地を訪ねられたお話しには、聞いていて、こんなつらいことがあるのかと思うような悲しい話でした。新幹線の駅、空港などからは、お菓子の返品があり、製造しても出荷できないので、製造も出来ない状態だということでした。

5)岩手県の南部屋敷では葛巻治さんと良志雄さん、佐々木幸男さんが出迎えてくださいましたが本社の入り口の階段の下は地震でずれて空間ができ、敷地内の弘法大師像が無残にも倒れていました。義捐金をお渡しした後、葛巻久八さと紀子さんにごあいさつ、宿泊の花巻に向かいました。(4月7日夜の地震では、3月11日よりも大きい揺れが来て、被害も大きかったということでした。せっかく、修復して営業を再開したのにまた、休業を強いられ、本当にお気の毒です)

6)花巻のホテル千秋閣は葛巻さんに予約していただきましたが、いまは自衛隊や消防署など救援隊の方、被災地からの避難をされている方のみの宿泊で一般の客は泊めていないとのこと。立派な施設に2食付で6千円で泊めていただきました。

7)塩釜の保志さん。津波が来て約50センチの床上浸水。水が引くのに3、4日かかり、引いた後は床にへどろが残り、それを除去するのが大変だったとのこと。まだ営業がいつできるか見通しが立っていない状況でした。10日間、避難所生活をされたそうです。保志さんは88歳、過去に3回津波に遭ったが、今回が一番大きかったと言っておられました。

8)福島の岩代屋敷大王さん。ちょうどお昼に到着、佐藤真也さん、文奥様、息子の卓宏さん、奥さんの香織さんが出迎えてくださいました。お母さんの裕子さんも車椅子でおいでくださり、ここでもそばをご馳走になりながら、震災の状況をお聞きしました。店は大工さん、電気屋さん、左官屋さんなどが入り、修復の真最中でした。
裕子さんからは、「稲むらの火」の話をお聞きしました。これは地震後、津波が来るのを予測し、村人に警戒と非難をさせるため、稲に火をつけて知らせたという話です。昔は教科書に載っていたが、いまは載っていない、ということを嘆いておられました。詳しくはインターネットで「稲むらの火」をご覧ください。

9)郡山では夕食を、唐橋さん、佐藤真也さん、文さん、本名幹司さん、故本名善兵衛さんの奥様まり子様(幹司さんのお母さん)とご一緒しました。福島では震災、津波より、福島第一原発の影響が一番大きい不安要素であり、長期化するおそれがあるのが問題だということが話題になりました。唐橋さんも佐藤さんも予約がすべてキャンセルされ、観光地のお菓子は返品され、お先真っ暗の状態。福島産の野菜、魚介類が出荷停止。今後も福島は観光客が寄り付かないだろうという怖れが現実のものとなってきています。福島の産物をもっと買おうという運動を起こしてほしいという意見でした。

10)いわき市の桑名さんのお店、マンマ・マリイ はファミリースタイルですが、本格的なイタリアンレストランで、本場イタリアから取り寄せた石臼のような巨大なチーズ、ハム、ワインなど、味も抜群で、地元に人気絶大な理由がよくわかりました。
地震で店内の設備、食器などが壊れ、電気、水道、ガスなどライフラインが完全に途絶え、しかも、放射能被爆を怖れ逃げ出す人が多く、町の人口が減少、絶望的な状態だったようです。
●まとめ
今回の義捐金はペリカンクラブの会員78名の方々から拠出いただき、総額では405万円になりました。ありがとうございました。皆さんの仲間を思う気持ち、被災者へ少しでも力になりたいというお気持ちの表れです。一刻も早く被災地へお届けしたいと思いました。
ペリカンクラブの会計からは35万円を拠出し405万円に上積みし440万円にして、上記の17名の方にお届けしました。配分方法については、役員、特に被災地の小松さん、葛巻さん、本名さんのご意見をいただきました。
日本赤十字社には100万円の献金にさせていただきました。今回のペリカンクラブの会計からの支出は、上記35万円と日赤への100万円で、合計135万円となりました。よろしくご了承のほどお願い申し上げます。以上、長々とご報告させていただきましたが、ご質問、疑問点、ご意見などありましたら、私、米濱鉦二までご連絡お願い致します。ありがとうございました。
以上


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