創立20周年記念 於・志摩 賢島~四日市
昭和56年10月13日(火曜日)
〔創立20周年祝賀 前夜祭〕
4時 「志摩観光ホテル」 に集結・燃える夕日をバックにダイニングルームからの 志摩の海は実に素晴らしい!
10月14日(水曜日)
2時 「ようこそ賢島へ」 大会受付開始
4時 「創立20周年物故会員追悼ペリカン忌」 献花 (読経奉仕)竹村徹山師
4時半 「開会式」 司会・木村政雄
6時半 『創立20周年記念祝賀ディナー』 「海の幸フランス料理」
◇乾杯 ◇ペリカン旅情/大会記念の歌 ・・・・・・・・ 指揮・郷まさる
◎特別講座 「私のフランス料理と菓子」 ・・・・・・・・・ 料理長・高橋忠之先生
◇「ペリカンの思い出」物故同友の面影を偲ぶ映写会 ・・・・・・・ 保志能成
10月15日(木曜日)
9時 「観光」
◇パールロード(風光明媚な鳥羽湾観光)→パールアイランド(海女の真珠採り・ショッピング)→朝熊山スカイラインで『昼食』
12時半 「観光」 ◇伊勢志摩スカイライン→伊勢(五十鈴川畔へ)
◇「赤福餅の由来と苦心談」 赤福社長 浜田益嗣氏
◇伊勢→松阪
4時 「夕食会」◇「和田金が国際的に有名に成るまで」 和田金専務 松田氏
(20年前此処で「お別れ会」をした思い出の店)
7時半 「研修会」 ◇夜の四日市市内研修
◎茶道教室 (松寿庵)担当 田辺宗加 宗匠
◎洋風教室 (洋菓子・喫茶・レストラン) 田辺洋二
◎和食教室 (とんかつ・天麩羅他) 上田一子
◎飲食教室 (寿司・料理・食堂他) 上田日出子
◎レジャー教室 (パブ・バー他) 上田輝一
10月16日(金曜日)
9時 「研修会」 ◇四日市商店街見学・クリニック・ショッピング
①菓子グループ◇長餅本店他 担当・金子嘉正
②飲食グループ◇レストラン・コトブキ 担当・田辺加代子
同 ◇桃太郎 担当・上田日出子
10時 「体験発表」 『来た道・行く道』 すわ寿司専務・上田輝一
10時半 「講演」 ◇ 「商い今、昔、よもやま話」 日本経済展望 岩城次郎先生
11時半 「閉会式」 四日市都ホテル・伊勢の間
「打ち上げお別れパーティー」
◎上田輝一君のこと
◇そのとき18才の美少年、彼は悲しみにくれる母と姉を助け、父亡き後 を立て直し今日の繁栄を築いた、二世の立派な見本である。
昭・56 賢島・志摩・伊勢・四日市
第20回 伊勢・志摩・四日市大会
燃えろ漁火
いのちのかぎり
心のふるさと
志摩の海
運命(さだめ)はかなく
君亡くも
流れ変らぬ
五十鈴(いすず)川
あゝ
夜の諏訪町(すわちょう)
ひとり咲く
「お招きのことば」
第二十回記念・伊勢・志摩・四日市大会 大会委員長 上田 輝一
第二十回大会誠におめでとうございます。
思い起こせば十五年前、第五回四国大会に梶谷晋弘さんと高校生の私でペリカンの旗印を両方から持ってペリカン連の阿波踊りの先頭を切って、徳島の大通りを練り歩いたのが未だにはっきり此の胸の中に生きています。
あれから父を亡くし途方にくれた母を励まし、嘆き悲しむ姉を力づけ懸命に頑張りました。お蔭様で今日どうやら無事に働かせて頂いて居ります。これも皆梶谷忠司様、新道様はじめペリカンクラブの諸先輩方のお導きの賜物と、深く深く感謝致し、厚く御礼を申し上げます。
今回ペリカンクラブ二十周年の記念すべき大会に、中郷理事長より、大会委員長にとのお声掛かりでしたが、何しろ若輩の私、是は先輩の田辺様にでもとご辞退申し上げましたところ、理事長に「君でも出来る、否、君ならきっと立派にできる、若いし難しい事が有っても坂井さんがアドバイスしてくれるから」と口説かれてしまい、要請にお応えする事になりました。
何しろ未だ未熟、若年のこと故、大会運営に不行き届きの所もまま有る事と思われますが、その節は何卒宜しくご寛容の程をお願い申し上げます。
何はともあれ、田辺様始め大会運営委員一同ベストを尽くして大会を運営致します。どうかご協力の程伏してお願い申し上げます。
只、是からは「あなた」様のご精進にあやかり「好天候」に恵まれます様にお祈り致します。
(昭和五十六年十月四日)
『ペリカンの祈り』
一年前に心配の余り書いた「ペリカンの願い」仕事よりも何よりも健康こそ最大の幸せであると・・・・・・・・・・。
しかし、人間が神さまから一生の持ち時間と負うべき荷物(仕事)を、二つの宿命として与えられて来たのでしょうか・・・・・・・・・?。
幾ら仕事よりも命と言って見ても、本能的に「タイムリミット」の残り少なさを感じてか、遮二無二「ファイト」を燃やし続けて、そして消えて行ってしまった親友・・・・・・、僅か四十四才「豪さん」安らかにお眠りください。
同友の皆さん、此の教訓を肝に命じ「バランス」のとれた人生を設計しようではありませんか。病気のため仕事を捨てゝ命を守った同友も居るのですから・・・・・・・。
『旅立ちの詩』
・・亡き米浜豪さんに捧ぐ・・
郷まさる
心のこりの ある中に
あと髪ひく 幼な子あわれ
知る人々に 手を合わせ
泪かくして 旅に出る。
(昭和五十一年八月二十日・大音寺にて)
『ペリカンの心』
岩城先生から戴いた、「協力は強力なり」のお言葉を守って此処に十三年、今年も待望のペリカンの季節がやって参りました。
先生が当初ご心配された「竜頭蛇尾」で無く、年々盛んになりました。
是も皆、倉本主幹・日下先生岩城先生他多くの諸先生のご指導と、日頃の会員の皆様のご協力のお蔭とご同慶にたえません。
中郷語録
『ペリカンの願い』
人間、自分の意思ではどうにもならない事が沢山ある。生まれた時もそして消えて行く時も・・・・・・・・・・・。
唯、願うことは健康で過ごしたいと言うこと。健康こそ最大の幸せである。
経営管理が如何に巧みでも、健康管理となると、余りにも下手、否、無関心。そして、病気が重くなってから、初めて健康の有り難さを知る・・・・・・・・・・・。
人はそれぞれ、その才能と入られる升の大きさが違う。自分の升の大きさに応じた経営と人生を送りたいものだ。
さて、「あなた」はどうお考えですか?ご健康を切に切にお祈り致します。
(昭和五十年十月五日)